読む点鼻薬

下関あたりで衣料品の販売を営んでいます。

多分うまく書けない、熊本地震の記憶。

2016年4月14日。

 

羽田発熊本行きのJAL最終便に乗った。20時40分に到着した熊本益城空港は観光客も多くなく、私と同じようなスーツ姿の、仕事の疲れが見えるサラリーマンが数人視界に入る程度だった。

 

熊本益城空港は熊本市街から離れた山間部に立地している。人里離れているといっていいだろう。

 

この空港を使うのは初めてではない。当時私が住んでいた南区のアパートまでは自動車で1時間弱かかる。山道と呼ぶにはカーブは少なく、かといって何かがあるわけではない帰り道だ。

 

2,3キロに1個コンビニがあったり、ところどころ住宅区画があって人が住んでいる。でも大半は山とか林とか田畑とか人口の灯りが少ない、そんな帰路だ。

 

私は前日、本社の会議がありスーツ姿で帰路についていた。多分、疲れていたと思う。そして何となく暗澹とした気分であったと記憶している。

 

自動車運転に億劫さを感じながら空港駐車場から車を走らせた。空港から出て間もなくすると2車線の長い下り坂で、走りながら前方に熊本市の夜景が見下ろせる。人々の生活の営みはまだ続いており、煌々と輝く電気照明の明るさが眼前のパノラマ一面に見て取れた。

 

車の運転中、最初の地震は発生した。

 

最初は車が風に煽られて、自分の思う通りに制御できなくなったと思った。ブレーキを踏み、下り坂で少々出しすぎた車速を緩めた。その時は「台風なんか来てたか?」なんてかなり的外れな事を考えていた。

 

不安定な車の挙動は体感で10秒くらい感じていた。だいぶ煽られている感じだったのでさらにブレーキを踏みこんだと思う。

 

前方の夜景に目を向けると何キロか先の中空で高架電線が揺れていた。そして、鉄塔と電線の間に火花のようなものが発生し、その後いなびかりのように瞬間だけ発光した。夜の闇を一瞬だけ光らせると、その後1ブロック、2ブロックくらいのエリアが停電したのが見えた。

 

あたりは真っ暗だった。追越し車線を走っていた車両の挙動も怪しかったので 路肩に車を止めた。後続の車も一様に停車していた。たった今発生した出来事が地震である事に気付いたのはその時だった。

 

私がその瞬間に感じた事。多分、多くの人に批難されるだろうけど、正直に書きたいと思う。

 

私がその瞬間に感じたものは「高揚感」そのものだった。

 

大変な事が起こっているぞと思いはしたものの不安や、恐怖はまるで感じていなかった。

 

ここから先、結局アパートに到着したのは深夜2時過ぎとなる。都合5時間程度、震源地付近の益城町を右往左往していた。

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続く。