読む点鼻薬

下関あたりで衣料品の販売を営んでいます。

多分うまく書けない、熊本地震の記憶。②

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地震発生の後、車を停車した。かなりつよい揺れのようだったが、周辺の視界の中に日常と変わっているものはなかった。

私は車内のラジオを付けた。地震の情報を仕入れたかったからだ。NHKFMでは既に地震対応となっており、例のごとくたった今起こったことを繰り返し報じていた。

「ただいま、熊本地方を震源とする強い揺れを観測しました。」

 

運転中だった為、揺れの大きさを正確に感じ取る事は出来なかったが、車の挙動から推測するとかなり大きい揺れだったと思った。非常事態を示す、サイレンが遠くの方で聞こえていたと思う。

 

東日本大震災の時、私は群馬県にいた。群馬県高崎市においても震度5強を記録した。当時の事が頭によぎっていた。これから起こる事、起こりそうな事、必要な物、必要な事、あの時しておけばよかった事など思い起しながら車を走らせた。

 

最初は津波の心配をした。熊本は不知火海に面していて津波の発生する恐れは十分にある。ただ、ここは山間で海抜はかなり高い。緊急にどうこうする必要はなさそうだ。

 

ほぼ徐行運転をしながらクルマを走らせるとコンビニエンスストアデイリーヤマザキがあり、私はその駐車場に車を止めた。2名の店員が店外でうろうろしていた。

 

店内にはすでに電気が止まっていたのか、非常電源で作動する電灯だけがついていた。店内も床に落下した商品が散乱していた。車を降りるとラインやらツイッターやらの連絡が気持ち悪いくらい入っていた。

 

当時私は単身赴任をしていて妻と子供二人は鹿児島にいた。まずはそちらの安否を確認したいが、あいにく電話は発信はするが通じない。不安が強くなる。

 

妻とはひどい喧嘩をしていて3か月くらい電話もメールもしていなかった。モバイル回線の被害のせいなのか、家族の身の回りに重大な被害があって出られないのか、もう口もききたくないのか。わからなかったが、とりあえずメールを入れて連絡を待つことにした。

熊本に住む部下が十数人いる。彼女たちはどうだったのだろうか。グループラインで安否を確認する。10分足らずで全員の安否は把握できた。皆無事だった。

 

コンビニの駐車場には数人車を停めていて様々に先ほど起こった地震の話をしていた。多分、みんな混乱していたのだろう。混乱と不安をかき消すために自分の目の前で起こった事を見ず知らずの人と共有していた。

 

デイリーヤマザキの店主と思しき男性と話をした。男性も地震の情報はほとんどラジオから仕入れていて、先ほどの地震震度7だった事を教えてもらった。いたるところで火災が発生していて、イオン熊本が燃えている等の情報をもらった。(これは誤報だった。)

 

これから帰る先に益城町があり、益城震源で道路も寸断されているという事だった。すでに信号も停電しており、街灯も消灯している。

 

私がアパートに帰るには益城町を抜けていくか、熊本市街まで迂回してアパートを目指すルートしかない。益城方面から何台か車が通過したのを確認して益城町を抜け帰る事を選択した。

 

続く。