多分うまく書けない、熊本地震の記憶③
益城町に進むにつれて、その地震の被害が深刻なことに気付かされた。
既に私の想像を超えた事態になっている事、そして、そのただなかにいる事を実感させられた。
道路はひび割れた箇所が多く、通行はできるものの暗闇の中ではその安全は担保しかねた。ヘッドライトの灯りだけで用心深く損傷のない部分を通行した。
また、崖の崩落やブロック塀の倒壊が至る所で発生していた。幾度となく迂回をする必要があった。すでに通行止めの箇所が発生していたし、緊急車両の移動で交通は大混乱していた。カーナビを頼りにアパートを目指すが、当初のルートからは大きく外れていた。
渋滞回避と迂回で私は益城町の街中にいた。多くの建物は壊れ、人々は夜の闇の中にいた。建物の中は危険だ。本能的に。
普段はこの時間にこんなに多くの人を見る事はない。多くの人々は動揺している事が目に見えてわかった。私も含めてだが自分の想像を超えた何かが起こった時、人は何もする事が出来ないのだろう。何もする事が出来ないが、とにかく状況は把握したいのだ。
しばらくすると渋滞はもう1ミリも動かないようになった。片側1車線の道路はブロック塀の倒壊等によりすれ違う事さえも難しい状況になっているようだ。私の車の横を緊急車両が通行していった。
その先には民家の火災が発生していた。
緊急車両は見た感じ消火設備はない。多分、消防車は他の箇所に行っており、消火設備のある車両がないのだ。消防関係の人は来ていたけど、消火活動ができないのだ。
渋滞の原因はとりあえずは火災の発生してる目の前の家屋であったのだ。
渋滞中、一人の女性が大声で誘導をはじめていた。彼女はこの先は通れない事、緊急車両が来た際に通行できるように車を寄せる事を必死に訴えていた。
私は自分自身訳のわからない義務感にとらえられ彼女と同じ行動を取ろうと思った。近くの駐車場に車を停め、他のドライバーへ状況の説明と迂回のお願いを大声で始めた。
多分、その行動に意味はなかったのだろう。証拠に建物は全焼した。
何かをせずにはいられなかった。この緊急事態に何かをしようとした彼女は立派だ。多分、近所の方だろうけど、自分の家屋の中もひどい状況なのを放っておいて他人の為に行動できるすごい人だ。私はそれを真似したに過ぎない。
大声で誘導を続けた。ただ、消防車が来ることを願って。消防車が来るまでの間、近隣の人が周囲にあふれかえる。
人々は口々に不安を訴えていた。
「私、まだ誰々と連絡がつかない。」
「ひょっとしたら、おじいさんがあの日の中にいるかもしれない。」
「消防車はまだ来ないのか。」
火は、大きすぎる火は人々に不安と興奮を与えた。
心は逸るがこれだけの事態を目の前にして何もする事が出来ないのだ。
建物の持ち主らしき人を見かけた。家族は3人で主人は50歳代と思われた。同じくらいの年の夫人と、10代の子供。夫人の方はかなり動揺をしていて、言葉にならない言葉を繰り返していた。子供は泣いていた。主人は時おり「しっかりしろ。」と夫人を叱っていたが本人もやはり憔悴しているように見えた。
でも、3人はお互いにお互いを抱き合っていた。
続く。